娘が亡くなって20年

今日は私の娘の20回目の命日です。20年前の2月10日、入院していた北里大学病院から危篤の電話を受け、タクシーで病院まで駆けつけていました。その時ラジオから、長野オリンピックのスピードスケートの決勝で清水宏保選手が金メダルを取る瞬間の実況が流れていたのを覚えています、、、

私の娘は生まれた時は未熟児で、その上、心室中隔欠損・のう胞・そして障害がありました。その為、北里大学病院の心臓外科・脳外科・リハビリ科に通院する事になりました。体が弱いので、近所の小児科に通う事もしょっちゅう

あまり長く生きられない事や小学校は普通学級には通えないだろうと分かったので、せめて小学校に入るまでは仕事を続けようと決心し、生後8カ月からフルタイム勤務で職場復帰したんです。

夫共々週休2日だったので、休みを同じ日に取らないようにして極力保育園に預ける日にちを削りました。週休2日だといっても、そのほとんどが病院通い!大学病院でMRI検査のある日は娘が寝てくれないと検査が出来ないので、寝てくれるのを待っているうちに夕方になる事もしばしば(;_;)

それでも家事は手抜きはしなかったですね、、、フルタイムで働いているのに専業主婦の母と同じように家事をこなすのは当たり前だと思っていたのです。今では考えられない!お弁当を含め、毎日3食作っていましたね~。

そんなある日、背中にリュックを背負い、胸に娘を抱っこし右手にスーパーの袋、左手に米5kgを持ってアパートの階段を昇っていたら、階段の途中で力尽きてしまい歩けなくなった事もありました。

それでも誰にも辛いとか苦しいとか言わなかったですね。「熱が出た」と保育園から電話が入る度、小さくなって早退した事は沢山あります。上司から「また早退ですか?」とか「一人っ子では可哀想でしょう」なんて今だったらセクハラ&パワハラ発言も多かったなぁ。体が弱い事も障害がある事も誰にも言えなかった。頑なだったなぁ。

娘の発達は遅かったけど、寝返りが出来るようになり、やがて歩けるようになった時は本当に嬉しかった!少しずつ色々な事が出来るようになる喜びは、一番の幸せでした。


娘の病状ですが、心室中隔欠損は成長するにつれ自然と穴が塞ぎ、のう胞は経過観察となりました。すると今度は、目が悪いのと耳の聞こえが良くないのに気づきます。今度は大学病院に紹介された専門医療機関通い。眼科は新百合ヶ丘、耳鼻科はどこだっけ?

そして当時住んでいた座間市から障害児の親の会に参加したらどうかと言われ、厚木へ。また障害児支通園センターのあるさがみ野まで、バスで片道1時間かけて通ったり。休みは休みでなくなり、忙しさと疲れで結構イライラしていましたね。今思えば、夫に「辛い」「助けて」と言えば良かったと感じます。ただただ後悔をしないよう、全力で暮らしていましたね、、、

3歳半になったある日、娘が肺炎になり北里大学病院に入院する事になりました。その後病状が良くなり退院のメドが立った後、原因不明のウィルスに感染してしまったのです。院内感染です。そこからアッと言う間に様態が急変し、亡くなってしまいました。泣い、泣いて、泣いて、、、いまでも娘と同じ位の子供をみると、思い出しちゃて涙が出ます。たった一つの大切な宝物が失われたんです。

それが丁度20年前。


それから私は独身に戻りました。大切な娘がいない残りの人生はおまけだと思っています。娘の為に菩提寺に自分でお墓を建て、車の運転免許を取り、車を買い

ひょんな事から、ゴルフを始めました。数年後、多分もう結婚は出来ないだろうと腹をくくり、老後に備えて(笑)新築の2LDKのマンションを買い

5年後に新築の3LDKのマンションに買い替えました

一方仕事は、ご進物相談所→婦人服の販売→アシスタントマネージャー→バイヤー→お得意様外商部のセールススペシャリストとして働きました、でも外商のノルマがキツイ事・この先の出世は見込めない事・百貨店の将来性が期待出来ない事・同期が上司になる事、、、色々な事で息苦しくなり、会社を辞める事に決めました。

もう若くないので資格は必須!とういう事で「宅建」を取得してから辞める事に決め、独学でしたけど一発合格!(≧▽≦)


それから不動産会社に勤務して経験を積み、4年前に独立開業しました。まだ順調とは言えないですが、今月で開業4年を迎えます。頑張っているのに成果が出ないとか、何故ダメなんだろう?と思う時がありますが、あの日、娘を抱っこして買物袋を両手に持ってアパートの階段が昇れなくなる以上の努力がまだ出来ていないのかもしれません。

まだまだやれる事、やらなくてはならない事は一杯あるはず。でも今は子育て当時と違い、励ましてくれたり助けたりしてくれる仲間がいます。

事業の将来性は自分次第。同期の出世を横目に見て落ち込んだり、惨めになる事もありません。結果は自分で出すしかない。この20年を振り返って、娘はママを褒めてくれるのかな?


アルバムを見ると涙が出るので、ほとんどアルバムを開く事はないのですが昨夜久し振りに勇気をだして開いてみました。そこには、、、

自分でも見た事のない笑顔の写真!本当に幸せそうに笑っています!ビックリしました、、、当時は気づいていなかったのですね。3年半の間、ずっと私に幸せと笑顔を与えてくれた娘に感謝です。

10年後、もう少し進歩した自分でありたいな。

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投稿者:

mikahousing

小田急相模原のサウザンロード商店街沿いで不動産業を営んでいます。女性ですが独立開業をして、現在一人で営業しています。地元相模原市出身。星が丘小学校・上溝中学校・桜美林高校・東洋大学を卒業しました。 女性の一人暮らしを応援しています!電話・メール・ラインでいつでも連絡下さいね

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